とある団地に住む主婦のブログです。
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2024.11.23 Saturday
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非情な理由
2015.11.07 Saturday
どうしてそういう(ある意味ありがたい)誤解が生まれるのか謎だが、周りの目には、私が子どもに対しいつも温厚な態度をとっているように思われることが多い。
よく言われるのだ。「NちゃんてKちゃんにあまり怒らなそう」、「大きな声あげて怒ったりしなさそう」。そんなことはない。強く叱ることも、時には怒りに任せて大きな声を出してしまうこともある。そんな今日もドカンとやってしまった。
今日は例の新卒講師による、Kの中国語学習の日であった。私はキッチンに入り、時々耳をそばだてつつ二人の様子を伺うことにした。開始10分もしないうちに、Kが玩具を取り出す音がする。その状態のまま先生が中文単語をリピートさせている。一応Kは聞いたまま小さな声で繰り返しているが、音真似だけをしている感じ。
しばらくして無音に近い状態が続いているのでおかしいなと、聞き耳を立てると遊んでいるKに先生が日本語で話しかけているのだが、「ようちえんはどうですか」「わかんない」、「えーと、Kちゃんのたんじょうびはいつですか」「わかんない」「えー、わからないのー?」、「すきな、たべものはなんですか」「すきなしゅみはなんですか」「・・・・無言・・・・」、「中国のじゃんけんをしましょう」「やだ」「剪刀石头布おもしろいですよ」「・・・無言・・・」みたいな、前後脈絡のない、外国語の初級学習者の質問集のような(Kにとっては全くつまらない)母語の応酬があり、私はこりゃもう全然ダメだと思った。
基本静観の構えと思っていた私もさすがにそこへ割って入り、「こらKちゃん、一人で遊ぶ時間じゃないでしょ、先生来てるのに! 老师,是不是K酱不理你吧!?」と聞くと、困ったような顔をして先生、中国語で「Kちゃんは普段から先生の言うことを聞きますか?」と来た。ええ、まあわりと、幼稚園では聞いてるほうだと思いますけど、今日はほんとに、すみません。
その時、Kは一人で工作をしたかったようで、周りに工作の材料と道具が散らばっている状態だった。今は工作の時間じゃないからしまいなさい、工作したいなら先生としなさい。一人でやるのはだめよ。今は中国語の時間でしょと言うと、Kは大号泣スタート。
落ち着くまでしばらく泣かせておこうと、私は一旦その場を離れたが、その後先生が何度なだめても泣き声が大きくなるばかりで止まらなかった。それでまた私は元の場に戻って、会話にならないKを前に、先生と話す。
そこで、メンツをつぶさないよう気をつけつつ、自分から見た先生の印象を伝える。例えば、「ようちえんはどうですか」のような抽象的な問いは日本語であっても4歳児には答えにくい問題で、親しくなるための会話にはならない。「しゅみ」ということばも子供には通じない。先ほどの先生の様子を伺っていると、子供を教えた経験があまりないのではないか。
すると先生、子どもを教えるのは初めてで自分の専門ではない、今回の仕事を引き受けたときに不安があったことを教えてくれた。だよねー、先生の問題じゃなくて、派遣元のM語学がいまいちなんだよねーととりあえず他者を非難しつつ、、、Kは依然泣き止まない(かなり長い時間泣いてる)ので、しかたがないし、今日はこれでおしまいにさせてくださいと先生を帰すことにした。
帰り際、私が先生に申し訳なかったと謝ると「Kちゃんは自分で中国語をやりたいと言ったんですか」と聞くので、そうですよ、本人が見学に行ってやりたいと言うから始めたんですと言うと、先生は首をかしげ「やりたい気持ちがあるならいいですけど、こんな小さい子に強制は良くないです」と言った。ふーむ
先生が出て行ったのち、私はKの先生に対する態度を厳しく叱った。どうして先生の話を聞かないで一人で遊んだのと聞けば、Kは工作をしたかったと言った。先生が家に来た理由を問えば、中国語の勉強と答えた。さっきの時間は何をする時間だったの?と聞けば、勉強と言う。先生が工作の邪魔をするのが悪いの?と聞けば、Kちゃんが遊ぶのが悪かったと言う。
先生がいる時のKの様子、つまり先生がいないように振る舞い、何かを聞かれてもツンとして「知らない」「分からない」と繰り返す態度を見てしまったので、その時、私は腹の中で沸々と怒りがわきあがっており、叱るを越え、怒る一線を越えて声を荒げていたと思う。自分でも思うけど、はっきり言って鬼のように怖い。
Kは泣きながらごめんなさいと謝った。もうしない、今度からは頑張る、と言ったけど、中国語クラスに関して言えば、すでに何度目かの「ごめんなさい」であり「今度からはがんばる」のセリフであったので、Kちゃんの「次はがんばる」をちっちゃんは信じることができない、となんと私はKの逃げ場を塞いでしまった・・・怒りに任せていじわるである!
時は夕方。一通り叱り(怒り)終えて、お互いにぐたっとしてしまい気分が悪かった。テレビをつけてKにはそれを見せ、私は夕飯の支度をし、テレビを見ながらKは食事をし、私は黙って食べ片づけた。風呂にさっと入り、黙々と歯を磨き、淡々と絵本を三冊ほど読んでからKを寝かしつけた。途中Kが私の機嫌をとろうとする場面もあったけれど、それに応えてやることはできなかった。
そして、ない頭を冷やしながら考える。Kの名誉挽回(ちゃんとやると宣言した通りやれること)をはかるにはもう一度同じ先生の授業を受ける機会を作るべきだろう。支払い済み分は1回分だけ、残っている。しかし、Kが先生に対しすげない態度をとった理由を思えば、もう呼ぶ必要はない気がする。
子供は、4歳のKは、とことん自分に正直なのだ。退屈に思うことには見向きもしないし、つまらない人と思えば何のためらいもなく冷酷非情な態度を示す。私の腹立たしいという感情は、たぶん『先生には、たとえどんなつまらないと感じる先生であっても、敬うべきである』、『有料の講義を途中で投げ出すのは勿体ない』、『やると言ったからには、途中でつまらないと感じてもやり通すべき』というような、自分の価値観から出たものに過ぎず、それはKの行動を制限する権利はないのかもしれない。
「とりあえず」お金を払って先生が来てるんだから、その場は言うことを聞いて、あの先生の授業つまんないと思えば終わってから、こっそりちっちゃんに言えばいいでしょ、と私はKに言ったけれども、お金を払ったことはKには関係ない話だし、「とりあえず言うこと聞いて」とは何か、、、ひどいな私!
とまあ、こんなふうにぶれぶれなんです。親がぶれたらあかんて言うけど、親子とはいえ頭は二つ、ちがう行動規範になることもあるよ・・・。ちなみにSさんに速攻事情を報告したところ返ってきたメールは、「つまらんかったら無視するやろな、4歳の自分なら。でも、次頑張るとも言わない。ただ『もう嫌』と言うだろう」であった。
そうだ、「次頑張る」とKが言ったのは、がんばりたいわけじゃなく、私の怒りをみてそれをおさめるべく発した言葉なんだろう。切ない。今日はKが起きている間に気付かず、許してやれず、ごめんね
上の写真は下の自家製みたらし団子のアップ。不細工なかたちの団子は自分のようだ。
追記:
それと、やっぱ子供が自宅で語学学習ってよっぽど惹きつける要素がないと厳しいって分かった。数々の誘惑に完全に負ける。
今日は例の新卒講師による、Kの中国語学習の日であった。私はキッチンに入り、時々耳をそばだてつつ二人の様子を伺うことにした。開始10分もしないうちに、Kが玩具を取り出す音がする。その状態のまま先生が中文単語をリピートさせている。一応Kは聞いたまま小さな声で繰り返しているが、音真似だけをしている感じ。
しばらくして無音に近い状態が続いているのでおかしいなと、聞き耳を立てると遊んでいるKに先生が日本語で話しかけているのだが、「ようちえんはどうですか」「わかんない」、「えーと、Kちゃんのたんじょうびはいつですか」「わかんない」「えー、わからないのー?」、「すきな、たべものはなんですか」「すきなしゅみはなんですか」「・・・・無言・・・・」、「中国のじゃんけんをしましょう」「やだ」「剪刀石头布おもしろいですよ」「・・・無言・・・」みたいな、前後脈絡のない、外国語の初級学習者の質問集のような(Kにとっては全くつまらない)母語の応酬があり、私はこりゃもう全然ダメだと思った。
基本静観の構えと思っていた私もさすがにそこへ割って入り、「こらKちゃん、一人で遊ぶ時間じゃないでしょ、先生来てるのに! 老师,是不是K酱不理你吧!?」と聞くと、困ったような顔をして先生、中国語で「Kちゃんは普段から先生の言うことを聞きますか?」と来た。ええ、まあわりと、幼稚園では聞いてるほうだと思いますけど、今日はほんとに、すみません。
その時、Kは一人で工作をしたかったようで、周りに工作の材料と道具が散らばっている状態だった。今は工作の時間じゃないからしまいなさい、工作したいなら先生としなさい。一人でやるのはだめよ。今は中国語の時間でしょと言うと、Kは大号泣スタート。
落ち着くまでしばらく泣かせておこうと、私は一旦その場を離れたが、その後先生が何度なだめても泣き声が大きくなるばかりで止まらなかった。それでまた私は元の場に戻って、会話にならないKを前に、先生と話す。
そこで、メンツをつぶさないよう気をつけつつ、自分から見た先生の印象を伝える。例えば、「ようちえんはどうですか」のような抽象的な問いは日本語であっても4歳児には答えにくい問題で、親しくなるための会話にはならない。「しゅみ」ということばも子供には通じない。先ほどの先生の様子を伺っていると、子供を教えた経験があまりないのではないか。
すると先生、子どもを教えるのは初めてで自分の専門ではない、今回の仕事を引き受けたときに不安があったことを教えてくれた。だよねー、先生の問題じゃなくて、派遣元のM語学がいまいちなんだよねーととりあえず他者を非難しつつ、、、Kは依然泣き止まない(かなり長い時間泣いてる)ので、しかたがないし、今日はこれでおしまいにさせてくださいと先生を帰すことにした。
帰り際、私が先生に申し訳なかったと謝ると「Kちゃんは自分で中国語をやりたいと言ったんですか」と聞くので、そうですよ、本人が見学に行ってやりたいと言うから始めたんですと言うと、先生は首をかしげ「やりたい気持ちがあるならいいですけど、こんな小さい子に強制は良くないです」と言った。ふーむ
先生が出て行ったのち、私はKの先生に対する態度を厳しく叱った。どうして先生の話を聞かないで一人で遊んだのと聞けば、Kは工作をしたかったと言った。先生が家に来た理由を問えば、中国語の勉強と答えた。さっきの時間は何をする時間だったの?と聞けば、勉強と言う。先生が工作の邪魔をするのが悪いの?と聞けば、Kちゃんが遊ぶのが悪かったと言う。
先生がいる時のKの様子、つまり先生がいないように振る舞い、何かを聞かれてもツンとして「知らない」「分からない」と繰り返す態度を見てしまったので、その時、私は腹の中で沸々と怒りがわきあがっており、叱るを越え、怒る一線を越えて声を荒げていたと思う。自分でも思うけど、はっきり言って鬼のように怖い。
Kは泣きながらごめんなさいと謝った。もうしない、今度からは頑張る、と言ったけど、中国語クラスに関して言えば、すでに何度目かの「ごめんなさい」であり「今度からはがんばる」のセリフであったので、Kちゃんの「次はがんばる」をちっちゃんは信じることができない、となんと私はKの逃げ場を塞いでしまった・・・怒りに任せていじわるである!
時は夕方。一通り叱り(怒り)終えて、お互いにぐたっとしてしまい気分が悪かった。テレビをつけてKにはそれを見せ、私は夕飯の支度をし、テレビを見ながらKは食事をし、私は黙って食べ片づけた。風呂にさっと入り、黙々と歯を磨き、淡々と絵本を三冊ほど読んでからKを寝かしつけた。途中Kが私の機嫌をとろうとする場面もあったけれど、それに応えてやることはできなかった。
そして、ない頭を冷やしながら考える。Kの名誉挽回(ちゃんとやると宣言した通りやれること)をはかるにはもう一度同じ先生の授業を受ける機会を作るべきだろう。支払い済み分は1回分だけ、残っている。しかし、Kが先生に対しすげない態度をとった理由を思えば、もう呼ぶ必要はない気がする。
子供は、4歳のKは、とことん自分に正直なのだ。退屈に思うことには見向きもしないし、つまらない人と思えば何のためらいもなく冷酷非情な態度を示す。私の腹立たしいという感情は、たぶん『先生には、たとえどんなつまらないと感じる先生であっても、敬うべきである』、『有料の講義を途中で投げ出すのは勿体ない』、『やると言ったからには、途中でつまらないと感じてもやり通すべき』というような、自分の価値観から出たものに過ぎず、それはKの行動を制限する権利はないのかもしれない。
「とりあえず」お金を払って先生が来てるんだから、その場は言うことを聞いて、あの先生の授業つまんないと思えば終わってから、こっそりちっちゃんに言えばいいでしょ、と私はKに言ったけれども、お金を払ったことはKには関係ない話だし、「とりあえず言うこと聞いて」とは何か、、、ひどいな私!
とまあ、こんなふうにぶれぶれなんです。親がぶれたらあかんて言うけど、親子とはいえ頭は二つ、ちがう行動規範になることもあるよ・・・。ちなみにSさんに速攻事情を報告したところ返ってきたメールは、「つまらんかったら無視するやろな、4歳の自分なら。でも、次頑張るとも言わない。ただ『もう嫌』と言うだろう」であった。
そうだ、「次頑張る」とKが言ったのは、がんばりたいわけじゃなく、私の怒りをみてそれをおさめるべく発した言葉なんだろう。切ない。今日はKが起きている間に気付かず、許してやれず、ごめんね
上の写真は下の自家製みたらし団子のアップ。不細工なかたちの団子は自分のようだ。
追記:
それと、やっぱ子供が自宅で語学学習ってよっぽど惹きつける要素がないと厳しいって分かった。数々の誘惑に完全に負ける。
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