とある団地に住む主婦のブログです。
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自転車とK
2016.05.30 Monday
気がつけば5月ももう終わり。日本に帰って来て丸4か月が経った。
ああなんだ、4か月しか経っていないのかというのが素直な感想。日記をしばらく書かなかったのには、特段理由があるわけではないけれど、それなりに日々いろいろなことがあり、気忙しい毎日を送っていた。Kにもこのたった4か月のうちに成長したなあと思える箇所がいくらかある。
何から書こう。何をどこまで書いたかも忘れてしまったな・・・
団地のソメイヨシノが満開になる前だから3月の下旬、Kが自転車に乗れるようになった。上海ではストライダーを十分に乗りこなしていたから、最初から補助輪がついていない自転車を買った。4歳にしてはたぶん車輪が大き目のもの。サドルがふつうの子ども自転車よりも低くでき、かつタイヤが大きいので長く乗れるという触れ込みの18インチ自転車である。
Kはほとんど自力で自転車に乗れるようになった。というより、親の手助けを拒否したのだ。自転車の乗り方のコツをネットで予習したり、youtubeで確認したりして「乗れるようになるまでのプロセス」を頭にいれ、手伝う気満々だった母。しかし、いざ手伝おうとすると、Kは「ちっちゃんは手出ししないで」とぴしゃり。どうやらいろいろ言われるよりも、自分で感覚をつかみたいようだった。
最初Kはペダルに足を乗せるのを怖がっていた。ストライダーよりもずっと大きな自転車だから足漕ぎなしで滑るのにも初めはこわごわ、少しずつといったふう。それもだんだんと板についてきて、わ!いまペダルに足乗せた!と思った次の瞬間には一漕ぎできて驚いた。自転車に乗れた日はSさんが中国出張中で、Kの様子を動画に撮って微信で送ったのだけど、Sさんからは「Kが初めて歩いたときと同じくらい感動した」と返信があった。
その後、団地の敷地を出て、本格的に公道を自転車で走るようになったのは4月上旬ごろ。Sさんと私でKを挟むように前後に並び、3人で自転車に乗って2キロ先の大きな公園へ行った。今では私と二人だけで駅前まで自転車で行くこともあるし、当初、足ブレーキに頼りがちだったスピードコントロールも、ちゃんと手元のブレーキを使ってうまくなってきたと思う。
だけど、時々はひやっとするような運転がないとは言えない。基本的には道路の左側を通るように話をしているけれど、気が大きくなったとき?など、Kはつい真ん中を走ったりする。そんな時私は、そんなんじゃ車にひかれて死んじゃうよ!ときつく叱ってしまう。子供の自転車事故はとても多いから、それが怖くて強めに叱ってしまうのだけど、Kにとってはまだまだ交通ルールを覚え始めたばかり、ちょっと言い過ぎたかなと思うこともある。
今日お風呂に入っているときに、(最近「死」の概念に興味のある)Kが、「Kちゃん死んじゃうかも」とぽつりと言うので、どうしてそう思うのか聞いてみたところ「自転車にじょうずにのれないから」という理由だった。恐らく上に書いた私の「そんなんじゃ車にひかれて死んじゃうよ」発言の影響である・・・(言ったのは数日前のことだからKの中にじわじわ浸透していたらしい)
Kちゃんは自転車に上手に乗っていると思うし、道路を走る時の約束はこれから少しずつ覚えて行けばいいんだよ、ルールがちゃんと分かるまではちっちゃんやとんとんがいっしょにいるから大丈夫だよと話す。それでもKがまだ「そんなにオレ自転車上手かなあ」と不安そうに言うので、4歳で補助輪なしでいきなり自転車に乗れたことを褒め、親の手助けなしにほとんど自力で乗れるようになるなんてたいしたものだよ、すごいと思うよ、先生にお話ししたらきっとKちゃんすごいねって褒めてくれるよ、等々褒め殺した。
するとKはようやく少し自信を取り戻したのか、「自転車に初めて乗れた時はねえ、Kちゃんは、Kちゃんのあたまのなかで(ここで人差し指で頭をつんつん指す)、どうやったら乗れるかっていうことをー、考えてー、それで、乗れるようになったんだよ」と、多少もったいぶるようなそぶり、そしてハイトーンの声で話してくれた。
言い方はちょっと可笑しかったけど、考えてみれば自転車の練習をしている時期、Kはよく寝る前にうつ伏せになって「いま、どうやったらのれるか考えているところ」とイメージトレーニング?のようなことをしていたのを思い出した。幼児でもイメトレってするんだなあ。
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